自分史を家が語る。家と人が織りなす一世紀分の歳月を描いた美しい絵本「百年の家」




絵本の情報

百年の家

【作】J・パトリック・ルイス

【絵】ロベルト・インノチェンティ

【訳】長田 弘

【出版社】講談社

【ページ数】64

「百年の家」のあらすじ

この家の扉の上の横板に、1956と記されているのが読めるだろう。

それがこの家、つまり、このわたしがつくられた年だ。

 

なんども嵐が来て、去って、なんども修理がくりかえされたが、結局、わたしは住む人のいない家になった。

そして、ある日、キノコとクリを探しにきた子どもたちが、勇敢にも、人の住んでいないこの家のなかに入りこんできたのだった。

 

この本は、古い丘にはじまり、二十世紀を生きることになった、わたしのものがたりである。

 

1900-

ざわざわと、騒がしいためいきのような声がした。

「見ろよ!おっそろしく古い家だ」

もうずっと、ただの廃屋だったわたしを、やっと見つけてくれたのは、子どもたちだった。

 

1901ー

廃屋のわたしを見守っていたのは、めぐる季節だけだ。

わたしは、古い石でできた家だ。

時間をかけ、手をくわえふたたび、頑丈な、がっしりとした家にしてほしい。

 

1905-

新しい世紀になって5年、根づいたブドウの木が、新しい芽をつけた。

ここに住むことにした人たちは、

工夫をかさねて、つよい品種の果樹をそだてた。

 

1942(第二次世界大戦下)-

破壊が、絶望が、憎悪が、犠牲者を追いたてる。

丘のわたしを明るく照らしだす、遠くの戦火。

わたしは最後の避難所になった。

何もかもなくした人たちの。

苦しんで、苦しみながら、なお耐えてきた人たちの。

 

1973-

いままでの暮らし方を継がない。

それが新しい世代だ。

だが、若さだけで、この家の古い石は、とりかえられない。

この家がわたしだ。

けれども、わたしはもうだれの家でもない。

運命をたどってきたわたしの旅の終わりも、もうすぐだ。

 

1999-

夜の小鳥たちがうつくしい声でささやいている。

おっそろしく古い家は、いまはどこにある?

じぶんの新しい住所が、わたしにはわからない。

過ぎたるは及ばざるだ。

このうえないものは、どこへ消えたのか?

 

けれども、つねに、わたしは、わが身に感じている。

なくなったものの本当の護り手は、日の光と、そして雨だ、と。




感想

「わたし=家」が自分の言葉で、100年の歳月を語ります。

家が語る、一世紀分の、人間の生きる力。

そして、現代に至るまでの時代の変化。

それが「家=わたし」の一生。

 

静かで力強く、確かな言葉達が、深く心に響きます。

 

1カ月後に引っ越しを控えている我が家。

新築ではなく、中古住宅という選択をしました。

 

「住み継ぐ」という言葉に魅力を感じている私は、あえて、中古物件を探していました。

できれば、古民家風な家に住みたい、という希望はありましたが、条件がなかなか合わず、購入を決めた家は、そこそこ新しい家でした。

 

話は逸れましたが、私は昔から、古くて趣のある「家」が好きです。

だから、この絵本絶対好き!間違いない!と感じて図書館で借りました。

 

絵本を開くと、「家=わたし」が、自分や、そこで暮らした人々について語るというスタイルに、衝撃を受けました。

そして、その語り口調と細部まで緻密に描き込まれた美しい絵に、一気に引き込まれました。

 

命の誕生、結婚、戦争、喜びや悲しみ、死に至るまで・・・

100年という長い歳月に起こった、その家での出来事。

文字数はそれほど多いわけではないのに、一日一日の積み重ねをしっかりと感じられます。

 

そして、ラスト(建て替えられた現代の家)に、また衝撃が走りました。

5歳の娘と読みましたが、私が欲しくなってしまいました。

大人にもおすすめの、傑作絵本です。

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